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青年トルコ人革命後の憲法改正で

青年トルコ人革命後の憲法改正で、地方の州に大幅な自治が認められることになった。オーストリア・ハンガリーは、ベルリン会議以来ボスニア・ヘルツェゴビナを管理下においていたが、自治が認められれば二重帝国の支配に批判的なセルビア人がボスニアの州議会を掌握し、自国の権限が脅かされると危惧した。そこでオーストリアは、ボスニア・ヘルツェゴビナの保護が同地域に経済的な安定をもたらすとの主張に基づいて、同地域を併合した。

併合は「ボスニア危機(併合危機)」と呼ばれる外交紛争を招いたが、最終的にオーストリア・ハンガリーがオスマン側に補償金を支払うことを約束し、ボスニア・ヘルツェゴビナはオーストリアに併合された。このとき、オーストリアはロシアに対して、ロシア軍艦のダーダネルス海峡通航権が認められるのを支持すると約束し、ロシアの支持を取り付けた。そこでロシアはオスマン帝国にダーダネルス海峡通航権を請求したが、イギリスとフランスの反対にあって頓挫したため、結局オーストリアの約束はロシアに何の益ももたらさなかった。
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併合がオスマン帝国に認められた後も、セルビアはオーストリア・ハンガリーに頑強に反対した。セルビアはロシアに支援を求めたが、ロシアは日露戦争で敗北を重ねて疲弊していたので、これに応ずることができなかった。ドイツはこの情勢を見てオーストリア・ハンガリーを支持し、イギリスとフランスは無関心であった。孤立したセルビアは、やむをえずボスニア・ヘルツェゴビナの併合反対を取り下げた。

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2009年09月23日 00:37に投稿されたエントリーのページです。

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